おばあちゃんの死。

平成30年8月14日、おばあちゃんが亡くなりました。
お盆の帰省中に。何というタイミング。

腰椎の圧迫骨折で入院はしたと聞いていましたが、12日にお見舞いに行ったときはあまり意識ははっきりしていませんでした。
でも、僕が病室に来ていたことは気がついてくれていたと思う。

その日、両親と一緒に主治医から病状の話を聞きました。
「年が年なので、着実に死は近づいています、年を越せるかどうか。」

そんな話を聞いていたので、もうおばあちゃんと会える時間は限られていると思い、ある程度覚悟はしました。
でも、生前元気な時から、会って話ができる時間は限られているから、
それなりの覚悟というか、一緒に過ごせる時間を大切にしたい、とは常々思っていました。

それが、2日後の朝方に急に容態が悪くなったと病院から電話が掛かってきました。

家族揃って急いで起床し、病院に向かいました。
おばあちゃんは下顎呼吸が始まり、別室に移されていました。

「もうあと僅かのお命です、お声は届いていますので、最期まで声をかけてあげて、見届けてあげてください。」とお医者さんから話がありました。

意識ははっきりしていないが、両親の声やおばの声はおばあちゃんに届いていたはず。
呼吸や脈が戻ったり低下したりしたけれど、ちょっとした励ましの声や、手を握ってあげることで、元気が出てきているようでした。

おばあちゃんは最期、涙を浮かべていました。
みんなに囲まれて嬉しかったのだろうか、別れるのが辛かったのだろうか、その気持ちはわからない。

病院に駆けつけて1時間が過ぎた頃、午前6時5分におばあちゃんは息を引き取りました。93歳。

前日まではリハビリもしていたみたいです。
だけど、夕方母が様子を見に行った時は、相当顔色が悪かったみたい。

ほんの一ヶ月前まではまだ元気だったのに、7月の後半に身体が痛いと言い始めて、救急車で運ばれ、入院しました。
入院中も、身体が痛いと叫んでいたそうで、痛み止めのキツイ貼薬を使ったのが、一番の原因ではないかと母は言っていました。医療用の麻薬も入っているそうです。薬を使ってから、4日おばあちゃんは寝ていたそうです。
そこから、あんまり意識がはっきりしなくなったみたいで、もう体力が残っていなかったんかなぁ。

でも、お盆の帰省でのタイミングでのお別れ、僕は遠方にいるので、おばあちゃんの死に目に立ち会えるかどうか正直難しいかもって思っていましたが、立ち会えることができましたし、おばあちゃんに直接、お別れの言葉を言えて僕は本望です。

「おばあちゃん、今までありがとう。お疲れ様でした。これからも見守っててや。」と、もうこれだけ言えただけで僕は満足です。

おばあちゃんは、僕の帰りを待ってくれていて、旅立つなら、僕が帰ってきている今だと思って安心して旅立ったのかもしれません。

何だか、死に際も考えられていたかのようなタイミングでした。最期まで不思議なおばあちゃんでした。

僕のことは一番にかわいがってもらっていたと思う。
実家に帰省する度、とても喜んでくれていたし、「あんたが帰ってきてくれると、おばあちゃんはいつもより元気でいてくれるわ」と母は言っていました。
戻るときも、寂しそうに涙を浮かべているときもあったし、孫の僕と会えることが本当に楽しく、大事に想ってくれていたのだと思います。

おばあちゃんは毎朝、仏壇の前に行っては「ご先祖様、どうぞ皆をお守りください、皆が健康で笑ってくれていられますように」とお祈りしていました。
本当に家族皆のことを想ってくれていたおばあちゃん。
家のこと、両親のこと、お前は長男なのだから、しっかり守ってくれと生前何度も話を聞かされていました。

おじいちゃん、おばあちゃんがいて、両親がいて、今の自分がいる。

ご先祖を始め、おばあちゃんの想いを大切に、これからの人生、過ごしていきたいと強く思いました。本当にお疲れ様でした。

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